生まれてからこれまで…其の壱 幼稚園編
朝、神戸の東灘区の知らないおばさんの家に
預けられて、そこから幼稚園にいき、
そこに帰ってきて、夕方そのおばさんの家へ、
親が迎えに来るみたいな生活をする。
体がおっきいおばさんだった為、そのおばさんの事を
「おっきいママ」って呼んでた気がする。笑
その時、そのおばさん家の近くにすんでた、
みゆきちゃんって女の子にたぶん、
初恋する。
たぶん好きだった記憶がある。
そんなこんなで、おばさん(おっきいママ)の家では結構厳しく躾けられたような気がする。
お箸の持ち方とか、ご飯中、基本ついてなかったけど、たまたまテレビ見てて怒られたりとか
色々怒られて怖かった記憶となんやかんやで優しかった記憶が混じっててどっちだったか定かでは無い。
話は飛ぶけど。今思い出しても、この頃から
忘れ物とか多かった記憶があって、
今のADHDみたいな輪郭はこの頃から既にあった気がする。
また、話しが前後するが、おっきいママの家では
納豆ご飯ばっか食ってた(ほぼ3食)記憶がある。
朝、預けに行かれてそっちでご飯食べて、
夜もご飯食べてそこで寝てたら迎えに来てたイメージなので…。後は、やたら水戸黄門見てたイメージ。
やったらsugarのウエディングベルって曲が好きだった知り合いかなんかのお兄ちゃんもいたのもこの時期で、ずっと聞かされてたっけ。そのせいで今でもふと聴く時あるし…。
あと、正月なんかは、本物の杵と臼でお餅ついて、
きなこもちとかあんこ餅とか自治会?単位かなんかで大々的に餅つき大会みたいなのあって
そこで初めて本物のでっかい杵やら臼やら見てでけーとか思ってたし、実際持たせて貰って重かったイメージもあるし、何よりちゃんとついた餅は、言葉は汚いけど、本当にくっそ美味かったなー。
幼稚園の頃はそんな幼稚園生でした。
幼稚園自体はボンボンのついた四角い帽子の
お金持ち御用達みたいな幼稚園だった気もするけど、
今となってはどうだったんだろうねー。
確か、クラスはもも組とか花の名前とかだった気がするけど、あんま記憶に無し。
特に友達とかも居なかったのか、記憶がほぼないなー。
そんな幼稚園でした。